JR神戸線は、東海道本線の大阪駅 – 神戸駅間と、山陽本線の神戸駅 – 姫路駅間の通称です。その歴史は日本の鉄道史そのものとも言える、非常に古いものです。
黎明期:官設鉄道と山陽鉄道の時代
- 1874年(明治7年)5月11日:日本で2番目の鉄道路線として、官設鉄道(後の国鉄)の大阪駅 – 神戸駅間が開業。これが現在のJR神戸線の最も古い区間となります。
- 1888年(明治21年):民間会社の山陽鉄道が、神戸駅 – 明石駅間を開業。その後、1889年(明治22年)までに姫路駅まで延伸されました。
- 1906年(明治39年):山陽鉄道が国有化され、神戸駅を境に東海道本線と山陽本線が接続する形になりました。
戦後:近代化と新快速の登場
- 1934年(昭和9年):大阪駅 – 明石駅間で日本初の電車線と列車線に分かれた複々線運転を開始。これによって、普通列車と快速・特急列車を分離し、速達性が向上しました。
- 1970年(昭和45年):現在のJR神戸線を象徴する「新快速」が運行を開始。当初は、大阪駅 – 西明石駅間をノンストップで結ぶという、当時としては画期的な速達列車でした。
- 1972年(昭和47年):新快速が姫路駅まで延長され、現在の主要区間が確立されました。
JR発足後:愛称導入と阪神・淡路大震災
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、JR西日本に承継されます。
- 1988年(昭和63年)3月13日:「JR神戸線」の愛称が正式に導入されました。これは、阪神間・播磨地域における路線のイメージアップを図るものでした。
- 1995年(平成7年)1月17日:阪神・淡路大震災が発生し、沿線は壊滅的な被害を受け、JR神戸線も長期にわたり不通となりました。しかし、JR西日本は早期復旧に尽力し、同年4月1日には全線が復旧しました。
現在
- 兵庫県内を東西に貫く大動脈として、通勤・通学、都市間移動の主要な交通手段となっています。
- 快速、新快速の利便性が非常に高く、特に新快速は最高時速130km/hで運行され、阪神間の私鉄各線と比較しても圧倒的な速達性を誇ります。
- 2016年(平成28年):灘駅 – 六甲道駅間に摩耶駅が、また、東姫路駅が開業するなど、駅の新設も行われています。
JR神戸線は、「大阪駅」から「姫路駅」までの区間である。この区間は、JRをはじめ、阪急と阪神が並行して走っている区間である。阪急、阪神と比べると、駅の数は少ない。
大阪駅から神戸駅まで
A47 大阪
A48 塚本
A49 尼崎
A50 立花
A51 甲子園口
A52 西宮
A53 さくら夙川
A54 芦屋
A55 甲南山手
A56 摂津本山
A57 住吉
A58 六甲道
A59 摩耶
A60 灘
A61 三ノ宮
A62 元町
A63 神戸
A47 大阪
A48 塚本
A49 尼崎
A50 立花
A51 甲子園口
A52 西宮



開業と駅名の由来
- 1874年(明治7年)6月1日:官設鉄道(現在のJR)の大阪駅 – 神戸駅間の延伸開業と同時に、「西ノ宮駅」として開業しました。
- この区間は、新橋駅 – 横浜駅間に次ぐ日本で2番目の官設鉄道であり、西ノ宮駅も日本で最も古い駅の一つに数えられます。
- 駅名は、古くから廣田神社の摂社である「西宮戎神社」(現在の西宮神社)が「西宮(にしのみや)」と呼ばれていたことに由来します。
駅舎の変遷と高架化
- 開業当初は地上駅でした。
- 1921年(大正10年):現在地に移転し、駅舎が改築されました。
- 1980年代後半:福知山線(JR宝塚線)の尼崎駅 – 宝塚駅間の電化・複線化工事に伴い、JR尼崎駅を起点とする東海道本線(JR神戸線)の線路と一体的に高架化されることになりました。
- 1990年(平成2年):高架駅として開業。これにより、長年の課題であった駅周辺の「開かずの踏切」が解消されました。
JR化と阪神・淡路大震災
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、JR西日本の駅となります。
- 1988年(昭和63年)3月13日:「JR神戸線」の愛称が使用開始され、駅名が「西ノ宮駅」から現在の「西宮駅」に改称されました。
- 1995年(平成7年)1月17日:阪神・淡路大震災で駅舎が大きな被害を受けましたが、同年4月には全線で運転が再開されました。
駅の構造とその他
- 現在は、島式ホーム2面4線を有する高架駅です。外側2線が新快速・特急用の列車線、内側2線が快速・普通列車用の電車線となっています。
- 快速列車が停車し、尼崎方面や三ノ宮方面への通勤・通学の利便性が高い駅です。
- 駅南口には複合商業施設「フレンテ西宮」があり、買い物客などで賑わいます。
A53 さくら夙川



開業と駅名の由来
- 2007年(平成19年)3月18日:JR神戸線の西宮駅 – 芦屋駅間に新設開業しました。JR西日本が主体となって建設した請願駅ではない駅です。
- 駅名は、駅のすぐ西を流れる「夙川(しゅくがわ)」が「日本さくら名所100選」に選ばれるほどの桜の名所であることに由来します。
- 駅舎や内装にも桜をモチーフとしたデザインが随所に取り入れられています。
開業までの背景
- 夙川周辺は、阪急神戸線(夙川駅)と阪神本線(香櫨園駅)の間に位置し、JR線の駅がありませんでした。このため、JR線の線路が通っているにもかかわらず、近隣住民は少し離れたJR西宮駅やJR芦屋駅まで行く必要がありました。
- 新駅の設置は、地元西宮市が長年JR西日本に要望してきたもので、地域の交通利便性向上を目的としていました。
- 駅の開業は、阪急電鉄や阪神電気鉄道との競争を激化させることになり、特に阪急電鉄は、さくら夙川駅の開業に先行して、夙川駅を特急停車駅に昇格させるなどの対抗策を講じました。
駅の構造
- 地上駅で、相対式ホーム2面2線を有しています。
- 駅舎は、駅西側を流れる夙川の流れをイメージした波型の屋根が特徴的です。
- バリアフリーに対応しており、エレベーターや多機能トイレが設置されています。
現在
- JR神戸線では普通列車のみが停車する駅ですが、周辺は閑静な住宅街が広がり、通勤・通学、夙川公園への観光客など、多くの利用客で賑わっています。
A54 芦屋



JR神戸線 芦屋駅の沿革は、阪神間における高級住宅地の発展と密接に関わっています。
開業と阪急・阪神との競合
- 1913年(大正2年)8月1日:国鉄東海道本線の西ノ宮駅(現在の西宮駅) – 住吉駅間に新設開業しました。当時の芦屋の地名は「精道村」でしたが、国鉄は知名度のある「芦屋」を駅名としました。
- この開業は、当時の精道村からの請願と、工事費用の寄付によって実現しました。
- JR芦屋駅の開業は、先行して開業していた阪神電鉄(1905年開業)や、後に開業する阪急電鉄(1920年開業)との激しい利用客争奪戦の始まりでもありました。
- 開業当初は普通列車のみが停車する駅でしたが、戦後、周辺の高級住宅地化が進むにつれ、その重要性が増していきました。
高架化と新快速停車
- 1969年(昭和44年):駅舎が橋上化されました。
- 1980年(昭和55年):駅ビル「モンテメール」が開業。この頃から、JR芦屋駅は駅周辺の商業の中心としての役割も担うようになります。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、JR西日本の駅となります。
- 1988年(昭和63年)3月13日:「JR神戸線」の愛称が使用開始されました。
- 1990年(平成2年)3月10日:新快速が日中時間帯に停車するようになり、利便性が飛躍的に向上しました。これにより、JR芦屋駅の利用客数は大幅に増加し、高級住宅地「芦屋」の玄関口としての地位を不動のものとしました。
阪神・淡路大震災と復旧
- 1995年(平成7年)1月17日:阪神・淡路大震災で駅施設が全壊する甚大な被害を受けました。
- しかし、JR西日本の迅速な復旧作業により、震災後わずか1週間余りで甲子園口駅 – 芦屋駅間が営業を再開。同年2月には住吉駅までの区間も開通しました。
- 震災からの完全復旧は、**1997年(平成9年)**に完了し、エレベーターの設置などバリアフリー化も同時に進められました。
- 震災を機に、1995年9月1日からは土曜・休日の新快速が全列車停車するようになりました。
現在
- 島式ホーム2面4線を有し、外側2線が新快速・特急列車用の通過線、内側2線が普通・快速列車用の停車線となっています。
- 快速列車と新快速が停車し、京阪神間の主要駅の一つとして機能しています。
- 駅ビル「モンテメール」は2019年にリニューアルされ、駅の商業機能も強化されています。
A55 甲南山手
A56 摂津本山
A57 住吉



JR神戸線 住吉駅の沿革は、阪神間における鉄道の発展と地域の歴史を映し出しています。
開業と駅名の由来
- 1874年(明治7年)12月23日:官設鉄道(後の国鉄)の大阪駅 – 神戸駅間の延伸と同時に「住吉駅」として開業しました。
- 駅名は、近隣に鎮座する由緒ある「住吉神社」に由来します。
- 開業当初は、周辺地域の主要な駅として、酒造業や農業の発展を支えました。
高架化と交通の結節点へ
- 1934年(昭和9年):大阪駅 – 神戸駅間の複々線化(電車線と列車線の分離)が完了し、住吉駅は電車線上の駅となりました。これにより、利便性が向上しました。
- 1964年(昭和39年):駅周辺の高架化工事が完了し、現在の高架駅の原型が完成しました。
- 1981年(昭和56年):六甲ライナーの建設が決定され、住吉駅は六甲アイランドへの玄関口としての役割を担うことになります。
- 1990年(平成2年)2月21日:六甲ライナーが開業し、住吉駅はJR神戸線と六甲ライナーの乗り換え駅として、交通の結節点としての役割を担うようになりました。
阪神・淡路大震災と復興
- 1995年(平成7年)1月17日:阪神・淡路大震災で、住吉駅は甚大な被害を受けました。高架橋が崩落し、駅舎も大きな損傷を負いました。
- しかし、JR西日本は迅速な復旧作業を行い、同年4月1日にはJR神戸線が全線で運転を再開。住吉駅も復旧し、地域の復興を支えました。
- 六甲ライナーも被害を受けましたが、同年7月には全線で復旧しました。
JR化と現在
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、JR西日本の駅となります。
- 1988年(昭和63年)3月13日:「JR神戸線」の愛称が使用開始されました。
- 現在の駅は、島式ホーム2面4線を有する高架駅です。内側2線が普通・快速列車用の停車線、外側2線が新快速・特急列車が通過する通過線となっています。
- 新快速は通過しますが、快速列車が停車するため、神戸市東部の主要駅として機能しています。
- 六甲ライナーの始発駅であり、六甲アイランドの企業や学校への通勤・通学客で賑わっています。
A58 六甲道



JR神戸線 六甲道駅の沿革は、阪神・淡路大震災からの復興の歴史と深く結びついています。
開業と駅名の由来
- 1934年(昭和9年)7月20日:国鉄東海道本線の摩耶信号場 – 東灘信号場間に「六甲道駅」として新設開業。
- この開業は、当時既に六甲山への玄関口として機能していた阪急六甲駅、阪神電鉄御影駅との乗客争奪戦を意識したものでした。
- 駅名は、六甲山へ向かう道が近くにあったことに由来します。
- 当初から、複々線化された電車線上にホームが設置され、快速列車が停車する重要な駅でした。
阪神・淡路大震災と復興
- 1995年(平成7年)1月17日:阪神・淡路大震災で、六甲道駅は壊滅的な被害を受けました。駅舎は崩壊し、高架橋も倒壊するなど、報道でも大きく取り上げられました。
- JR西日本は、全線の早期復旧を目指し、六甲道駅の高架橋を約1か月という驚異的なスピードで仮復旧させ、同年4月1日には全線で運転を再開しました。
- 新たな駅舎は、震災の教訓を活かして、より堅固な構造で再建されました。
- 震災後、駅周辺の再開発が進み、駅南側には駅前広場やショッピングモール「フォレスタ六甲」が整備され、街の復興のシンボルとなりました。
その後の変遷
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、JR西日本の駅となります。
- 1988年(昭和63年)3月13日:「JR神戸線」の愛称が使用開始されました。
- 2004年(平成16年):駅南口の再開発が完了し、商業施設やマンションが建ち並ぶ現在の街並みが形成されました。
駅の構造とその他
- 島式ホーム2面4線を有する高架駅です。外側2線が新快速・特急用の通過線、内側2線が普通・快速列車用の停車線となっています。
- 快速列車が停車し、周辺には神戸大学や灘中学校・高校など、教育施設が多く立地しており、学生の利用も多い駅です。
- 駅構内には商業施設「プリコ六甲道」があり、利用客の利便性向上に貢献しています。
A59 摩耶
A60 灘

JR神戸線 灘駅の沿革は、阪神間における鉄道の歴史を語る上で欠かせないものです。
開業と阪神・淡路大震災までの歩み
- 1874年(明治7年)5月11日:日本で2番目の鉄道路線として、官設鉄道(後の国鉄)の大阪駅 – 神戸駅間が開業しました。この時、現在の灘駅の近くに「灘信号所」が設けられましたが、この時点ではまだ旅客駅ではありませんでした。
- 1876年(明治9年)12月1日:旅客駅としての「灘駅」が開業しました。この場所は、現在の場所よりもわずかに西側に位置していました。
- 駅名は、周辺一帯が酒造りの町として栄えていた「灘」に由来します。
- 1931年(昭和6年):線路が高架化されました。これにより、駅周辺の交通がスムーズになりました。
- 1934年(昭和9年):国鉄の大阪駅 – 神戸駅間が複々線化され、灘駅は普通列車が停車する駅となりました。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、JR西日本の駅となります。
- 1988年(昭和63年)3月13日:「JR神戸線」の愛称が使用開始されました。
阪神・淡路大震災と復興
- 1995年(平成7年)1月17日:阪神・淡路大震災で、灘駅は壊滅的な被害を受けました。高架橋が崩落し、駅舎も大きな損傷を負いました。
- 震災後、JR西日本は迅速な復旧作業を行い、同年4月1日にはJR神戸線が全線で運転を再開しました。灘駅も仮設駅舎で営業を再開し、その後、新しい駅舎と高架橋が再建されました。
- 灘駅は、震災からの復興のシンボルの一つとして、地域住民の生活を支え続けました。
現在
- 2016年(平成28年)3月26日:灘駅 – 六甲道駅間に摩耶駅が開業し、両駅の駅間距離が短くなりました。
- 現在の駅は、島式ホーム2面4線を有する高架駅です。内側2線が普通・快速列車用の停車線で、外側2線は新快速・特急列車が通過する通過線となっています。
- 灘駅は、六甲道駅や三ノ宮駅に隣接しており、周辺には兵庫県立美術館や横尾忠則現代美術館など、文化施設も多く点在しています。
A61 三ノ宮
A62 元町
A63 神戸



JR神戸線 神戸駅の沿革は、日本の鉄道史において非常に重要な位置を占めています。
日本鉄道史の黎明期
- 1874年(明治7年)5月11日:日本で2番目の鉄道として、官設鉄道(後の国鉄)の大阪駅 – 神戸駅間が開業しました。この時、終着駅として「神戸駅」が誕生しました。
- 当時の神戸駅は、日本の主要な港町である神戸港へのアクセスを担う重要な駅であり、日本の近代化を象徴する存在でした。
- 開業当初は、新橋駅 – 横浜駅間に次ぐ日本の東西を結ぶ鉄道の西の起点でした。
繁栄と構造の変遷
- 1889年(明治22年):山陽鉄道が神戸駅 – 姫路駅間を開業し、神戸駅は東海道本線と山陽本線の接続駅となりました。
- 1906年(明治39年):山陽鉄道が国有化され、神戸駅は国鉄の重要な拠点駅となります。
- 1934年(昭和9年):大阪駅 – 神戸駅間で日本初の複々線(電車線と列車線)運転が開始され、快速・新快速列車と普通列車の分離運転が可能になりました。これにより、速達性が大幅に向上しました。
- 1964年(昭和39年):東海道新幹線が新大阪駅まで開業し、神戸駅は新幹線の停車駅から外れ、在来線の主要駅としての役割を担うことになります。
JR化と阪神・淡路大震災
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、JR西日本の駅となります。
- 1988年(昭和63年)3月13日:「JR神戸線」の愛称が導入され、神戸駅はJR神戸線の西側の主要駅として位置づけられました。
- 1995年(平成7年)1月17日:阪神・淡路大震災で、神戸駅の駅舎や高架橋が大きな被害を受けましたが、JR西日本の懸命な復旧作業により、同年4月には全線で運転が再開されました。
駅周辺の再開発
- 神戸駅の駅舎は、震災を乗り越え、その後も改装が重ねられました。
- 駅の南側には、戦後、湊川貨物駅がありましたが、2003年(平成15年)に閉鎖され、跡地には大型商業施設「umie」(ウミエ)や「ハーバーランド」が開発されました。
- これらの再開発により、神戸駅周辺はショッピングや観光の拠点としても賑わうようになりました。
現在
- JR神戸線の全列車(特急、新快速、快速、普通)が停車し、山陽本線や和田岬線への乗り換え拠点となっています。
- 島式ホーム2面4線を有し、列車線と電車線がそれぞれ2線ずつ配置されています。
- 商業施設や地下街、周辺の観光地と直結しており、神戸市の玄関口として重要な役割を果たしています。


コメント